レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

真面目すぎるベニテス

リーガは18節を終えて、マドリーは11勝3敗4分、勝ち点37でアトレティコバルセロナに次ぐ3位につけている。

首位アトレティコとの勝ち点差は6で、数字上はまだまだ優勝を狙える位置にいるし、CLも順当に1位でグループステージ突破を決めた。

数字だけを見れば、ベニテスはまずまずの結果を残しているように見えるが、彼に対する風当たりは強まる一方である。その大きな要因のひとつは、まったく上向く気配を見せないプレーの内容だ。

バルセロナ戦で大敗を喫して以降も4-2-4となってしまう攻守の分断は改善せず、少し良い試合をしたかと思えば次の週末には見るに堪えないレベルだったという具合にマドリディスタの満足できる内容とは程遠いプレーを続けている。

それなりの結果でここまできていると言っても、制裁の影響で層が薄く、例年になく勝ち点を落としてくれているバルセロナを上回れていない現状がある。しかも、昨シーズンから見れば層は厚くなっており、CWCもなく試合数も移動距離も少なく済んでいる状況でこの結果では、チームとして機能していないとしか言いようがない。

主力の移籍もほとんどなく引き継いだにもかかわらず、チームがここまで機能しなくなったのはなぜなのだろうか。

コンディションの問題ではないだろう。日程的には昨シーズンより余裕があり、層を生かして(個々の交代の是非はともかく)ローテーション視ながらここまできている。

もちろん、現代において4-2-4となることを許容する監督はまずいないから、これがベニテスの最善の形だとも思えない。

そう考えると、やはりチームのメンタリティ、士気が低下しているからだと考えざるを得ない。

当然のことながら、士気を保つことは重要だ。

同等の力を持った組織なら士気が高い方が良い仕事をする確率が高くなるのは当然だし、士気が高い格下がやる気のない格上を上回ることもある。

その点で、継続して結果を出すために、身体的なコンディションの維持とともに、士気を維持することも監督の重要な役割のひとつと言える。

ベニテスは、マドリー出身の監督であり、マドリーがどういったクラブであるかを理解している監督だ。

その意味で、彼がトップチームを指揮することには問題がないように見える。就任会見時の涙は、彼のクラブへの思いの表れであり、アンチェロッティの解任と彼の就任に懐疑的だった多くのマドリディスタにさえ訴えるものがあった。

最近でも、今シーズンのCWCの終了に伴い、昨シーズンから付けていたチャンピオンバッチが外れることに際しての質問に対し、「マドリーのエンブレムこそが重要なのだ」という趣旨の応答をしていて、クラブを重要視していることがはっきりと見て取れた。

こうした姿勢は模範的で、それ自体に非の打ち所はない。それは確かなのだが、ベニテスはマドリーというクラブを意識しすぎて、余りにも真面目に振舞い過ぎているように感じられる。

真面目さは美徳であるし、クラブのため、チームのために動くことは当然ではあるのだが、いつもそのようにかしこまっていては、緊張が解けることはなく、返って状況を悪化させることにも繋がる。どんな組織であっても、緊張と緩和、アメとムチといった使い分けは必要で、どちらか一方だけでは物事はうまく進んでいかない。

マドリーのトップチームのように、それぞれが世界トップクラスのプレーヤーで、一般の世界からは想像もつかないようなプライドやエゴを持った人々ならばなおのこと。

その点でベニテスは、「すべてはマドリーのため」という厳格な姿勢が逆効果になっているようだ。

象徴的だったのは、第16節のラージョ戦だ。

先制後に逆転を許したものの、ラージョが27分までに2人(2人目のバエナは明らかに不当であったが)退場者を出し前半のうちに4-2とリードしたこの試合は、何もせずとも勝利は固いと言えるものだった。

結果的には10-2となるわけだが、ベニテスはそんな試合の後半になっても、真面目な表情でピッチ際に立ち、プレーヤーを呼び、指示を出し続けていた。

繰り返しになるが、そうした姿勢それ自体はとがめられるようなものではない。

だが、プレーする側からして見ればどうだろうか。

成り行きは明らかな試合で事細かに指示を出されると、過度に管理されているように感じてしまう。自分がピッチにいると想像すると、私でさえこんな試合くらい好きにさせてくれと思ってしまうような状況で、マドリーにいるようなプレーヤーならなおのこと煩わしく感じるだろう。

何かと引き合いに出してしまうが、前任者ならどうしただろうか。

アンチェロッティならにこやかにベンチに座り、最低限の交代だけを済ませてピッチのことはピッチに任せていたのではないだろうか。

しかしそれは、アンチェロッティがマドリーというクラブや監督としての仕事に不真面目だということは意味しない。マドリーを成功に導くという根本は変わらないが、それぞれの試合、場面に即した振る舞いがあるというだけのことだ。

もっと言えば、自分の本音とは違う思いを、さも本当に思っているかのように表現することもあるだろう。プレーヤーをやる気にさせ、チームのために動いてもらうためには、その理想をかざすだけでなく、時には道化となって盛り上げることも必要だ。

ベニテスには高い理想はあるが、それを実現するために時に必要な、柔和さ、気楽さ、場に応じた程良い手抜き、といった態度が欠けている。

ベニテスは真面目に監督を務めている。そのことは疑いようがない。だがその真面目さが、返ってベニテスから、チームから、マドリーという存在からプレーヤーを心理的に遠ざけている。

彼がマドリーを愛してやまず、そのことを正面から共有しようとするあまりこうした振る舞いになってしまっているとしたら切なく、また皮肉なことだ。