カシージャスが引退を発表した。
練習中に発作で救急搬送されて以降は練習に復帰できておらず、RFEF会長選への出馬に意欲を見せていたこともあって、引退は既成事実化しつつあった。
だから、彼の発表に驚きはなかった。
それでも、カンテラーノからトップチームのカピタンにまで上り詰めたプレーヤーの引退は、やはり寂しい。
Lo importante es el camino que recorres y la gente que te acompaña, no el destino al que te lleva, porque eso con trabajo y esfuerzo, llega solo y creo que puedo decir, sin dudar, que ha sido el camino y el destino soñado #Grac1as pic.twitter.com/xb8ucs9REh
— Iker Casillas (@IkerCasillas) 2020年8月4日
彼のキャリアの最初のハイライトは、突然やってきた。
’01~’02シーズン、レバークーゼンとのCL決勝でセサルが負傷し、途中出場。好セーブでリードを死守して、9度目のCL優勝を達成したのだった。
これ以前もトップチームでプレーはしていたものの、この時の主役は銀河系。あのボレーを決めたジダンを筆頭に、実績ある先輩が多くいる中で得たタイトルだった。
この後ゆくゆくは自分自身が主力となってタイトルを取る。そういう未来を彼は望んだことだろう。
しかし、ハイライトでできた影が長く伸びるように、その後は苦難のキャリアが続いた。
彼自身のステータスは順調に上がっていったが、マドリーは主要タイトルを獲得することがなかなかできなかったのである。
もちろん、’06~’07と’07~’08のリーガ連覇は一つの到達点であった。だが、その一方CLでは5シーズン連続でベスト16敗退で屈辱にまみれている。
彼の活躍が目立つということは、それだけ守備が不安定だったということだ。
GKの奮闘だけではタイトルには手が届かない。個人の名声は年々上がるのに、チームは望まれる結果を出せないという状況が長くこととなったのだった。
’10年、モウリーニョがやってくると彼はチームの守備を改善、CLベスト16敗退の地獄からマドリーを救い出した。
盤石の守備に鉄壁のGKという、望むような形にようやくなったにも関わらず、モウリーニョとはバルセロナとの関係などを巡って対立した。
負傷により離脱し、やってきたディエゴ・ロペスが第1GKとなってからは、それまでのアンタッチャブルな扱いから一転、カピタンでありつつもローテーション起用されるGKという難しい立場に。
チームがようやく上昇気流に乗っていけるようになったのに、カシージャスはその中心から徐々に外れていった。
この状況下で手にしたラ・デシマ、10回目のCL優勝の価値は、彼にとっていかばかりだっただろうか。
キャリアの最初、偉大なプレーヤーに囲まれた若者でしかなかった頃の9回目から12年が経過しての優勝である。ベスト16の壁を乗り越えてからは、マドリーが達成したい第一の目標であったタイトルにようやく手が届いたのだ。
この時、彼のキャリアは結実したと言えるかもしれない。
その後のポルト移籍は、やむを得ないものだった。
控えに置いても一挙手一投足がゴシップ的に扱われていたし、第1GKとなったナバスにも不要なストレスを与え得る存在になっていた。
ペレス会長との対立もあったのだろうが、穏当に立場を落としチームを支えるベテランになるには、彼はあまりにも大きすぎたのだ。
キャリアの最初に達成したCL優勝をマドリーでのキャリアの最後にも成し遂げたのだから、マドリーでのキャリアが栄光に満ちたものだったと言うことは十分にできる。
しかし、私はその間に横たわる12年に目を向けたい。
彼が長く続いたマドリー低迷の時代を支えてくれたことが、今のチームに繋がっている。
YouTubeで彼のプレー集を探すと出てくるプレーの一つ一つは素晴らしいが、その多くはチームのタイトルには結びつかなかったのだ。
その苦闘の歴史こそ、彼が示したマドリディスモだったのではないだろうか。