セルヒオ・ラモスの今シーズン限りでの退団が公式に発表された。
引退はせず、フリーでの移籍となる予定。
理屈
ジダン退任時に書いたように、三連覇期の主力を中心に緩やかに世代交代してきたのがこの数年の状況である。
契約延長となってもアンチェロッティの下でも同様の流れが続いていただろうと思われ、主役を誰かに譲ってもらうことはそう遠くない未来に予想されていたことであった。
そうした流れであるから、退団となったことは先を見据えれば悪いことばかりではない。
これを契機にジダン期の序列を見直し、世代交代を早めることを目指すことができるし、金銭的には浮いた年俸分を新たな看板プレーヤーに充てることも検討可能となるだろう。
マドリーにとって計算上一番良かったのは、ラモスと単年延長し、バランを売却して資金を得ることだったが、ラモス退団、バラン契約延長も悪い選択肢ではない。
世代交代を意識し20代前半のセントラルとさほど高くない額で契約できれば、まずまずの結果と言えるだろう。
感情
計算としては悪くないと頭は働くが、感情はまた別である。
セルヒオ・ラモスが在籍した期間、マドリーには多くの出来事があった。
「銀河系」末期の混乱を経て第1次ペレス政権が終了を迎え、カルデロン政権へ移行、第2次ペレス政権の誕生と、ピッチ外での大きな変化があった。
それにより、現場も変わっていったわけだが、特にキャリア前半は波が大きかった。
なかなか落ち着かなかった時期から、ペジェグリーニを経てモウリーニョへと移り変わった監督の人事がその筆頭である。
モウリーニョは、長らくマドリーの問題であり続けたCLベスト16の壁を突破し、史上に残る強さを誇ったバルセロナに抗う戦いをリーガでもCLでも繰り広げた。
行き過ぎにも見える敵愾心の煽り方に批判はあったものの、経営陣からの信任もあり、モウリーニョは久しぶりにマドリーで継続的な指導を行うかに思われた。
しかし、モウリーニョとカシージャス、ラモスらプレーヤーは内部抗争に至った。監督とプレーヤーのどちらかを取る選択が迫られ、クラブはプレーヤーを選んだのだった。
こうしてみると、モウリーニョ期にラモスは既にクラブ内で確固たる立場を築いていることが改めて分かる。
ただ、本当に替えの利かない格、立場のあるプレーヤーとなっていったのは、後半期となるその後のアンチェロッティ期からだ。
後半期はとにかく勝負強く、いくつもの決定的な仕事をしてきた。
もちろんその象徴となるのは、リスボンでのヘディングシュートである。
守備での功績よりもゴールの場面が思い出されることに、彼のキャラクターが象徴されているように思う。
モウリーニョが培った守備組織をベースとしてついに花開いたマドリーにあって、諦めない、格好よりも勝ちにこだわるといった、マドリディスモの根源たるメンタリティを自然に表現したのはセルヒオ・ラモスだったのであり、だからこそ彼は替えの利かないプレーヤーになったのだ。
ラウールやカシージャスのように、超然とした、近づくことが憚られるようなカピタンではない。
感情をあらわにして戦い、余計なカードを貰う過ちも犯す、自分たちの延長線上にいると感じられるカピタンであった。
今感じているのは、友達が遠くへ引っ越してしまう時のような寂しさだ。
あたかも長く苦楽を共にしてきたかのような感情をもって思い出を振り返ってしまう魅力を持つ、偉大でありながら身近な存在であったプレーヤーが去っていく。