レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

ラウール、引退

マドリーの偉大なるカピタン、ラウールが現在の所属先であるNYコスモスの公式サイトを通じ、今シーズン終了後の現役引退を発表した。

記事の中でラウールは次のようにコメントしている。

12月にNYコスモスと契約した時は、シーズンが終わった時にプレーを続けられるかどうか考えるつもりだと言った。

僕の決断は今シーズンが終わったら現役引退するということだ。NYコスモスがNASLで勝利できるよう手助けをすることに完全に集中している。これからの数か月で、次のステップについて決めるよ。

フットボールをプレーすることは長く僕の人生の一部だったから、引退の決断は簡単なものではなかったけれど、今が適切なタイミングなんだと思っている。

キャリアを通じて僕をサポートしてくれた皆に感謝しているし、これからの数週間NYコスモスと戦う最後の試合を楽しみにしているよ。

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ラウールは1994年にバルダーノ監督の下でマドリーのトップチームデビューを飾った。

以来、公式戦741試合に出場し323ゴールを記録。ロナウドが驚くべきスピードで抜き去るまで、数々の得点記録のトップに居続け、マドリーの16年間ので、リーガを6回、スーペルコパ4回、3回のCL成果を経験した。

ラウールは得点の能力はもちろんながら、守備にも献身的であり、攻撃的なポジションであればどこでもこなせる器用さも併せ持つプレーヤーだった。だからこそ、クラブが数々のスターを連れてきても、結局は彼が生き残ることになったのだろう。

一方で、雄弁なタイプではなく、カピタンをイエロから引き継いだマドリーとスペイン代表では、その立場に返って苦しめられているようにも感じられた。クラブでも代表でも、成績が良くない時はラウールにその非難が向くこともしばしばあったからだ。

ラウールはそんな中でも黙々とプレーした。悪く言われようが表立って反論することはせず、得点を挙げ続けることで自らの価値を示した。

本来であればチームも彼個人ももっと高みに達していてもおかしくなかったにもかかわらず、ラウールが全盛の頃はチームとしての成績が振るわなかった。

カピタンとなった’03~’04シーズン以降、ペレス会長が再度会長職に就くまでは、マドリーは混沌としていた。個人の得点記録とともにチームのタイトルという形でも、もっと記録に残って良いプレーヤーであったから、その時期にプレーヤーとして最も良い年齢を迎えたことは彼にとっては不幸だったかもしれない。

しかし、苦難の時代にマドリーの先頭に立ったからこそ、記憶にも強く残るプレーヤーとなったとも言えるのではないだろうか。

この数シーズンでは考えがたいことだが、CLではベスト16の壁に阻まれ続けていた時期もあった。

その時代を乗り越えてこそ、今のクラブ、チームがある。21世紀最初の10年のマドリーの歴史は辛いものだが、それを克服する力となったラウールの貢献をマドリディスタは忘れることはできないだろう。

モウリーニョが監督に就任したオフ、ラウールはシャルケへ移籍した。

モウリーニョインテルにおけるマテラッツィのように、クラブを知る者として彼をチームに留めたい意向があったとされるが、ラウールは自分はまだプレーヤーであると言ってマドリーを後にした。

マドリーとしては物足りない成績が続いていた数年を過ごし、余りにも大きなプレッシャーだったのではないだろうか。カシージャスの経緯も見た今考えれば、類まれなプレーヤーである彼が純粋にプレーを楽しむためには、マドリーを離れるほかなかったのだろうと思う。

まだまだ力を残したクラブの伝説的プレーヤーを、プレー以外を原因として手放さなければならなくなるのは辛い。だがそれまでの経緯を考えると、温かく送り出したいと多くのマドリディスタに思わせるものがあった。

引退後のキャリアがどうなるのかはまだ示されていないが、ラウールはマドリーに帰ってこなければいけない人物だ。帰ってきて欲しい、ではなく、必ずそうしなければならない。マドリーは彼のような人物を手放すことなどあってはならないのだ。

プレーヤーとしてではなくとも、マドリーがタイトルを獲得することをクラブの一員として喜んでもらえることは、マドリディスタとしてとても幸せなことだ。

ともかく、今はシーズン終了まで怪我なくプレーし、現役の最後の時間を楽しんでほしい。プレーヤーとしてのラウールの幸運を最後まで祈りたい。