レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

デラレの扱いはいかに

■事実

マルカ紙によると、マドリーは、1年半前にピッチで意識を失ったデラレとの契約を正式に破棄するための手続きを進めている。また、その事実は既にデラレにも通達されているという。

選手がプレー不可能な障害を抱えているかどうかを認定する組織に判断を仰ぎ、プレー不可能と認められれば、クラブと選手の契約は効力を失い、選手は共済の年金(今回の場合は年1500ユーロだそうだ)を受け取ることになる。

また、この場合、マドリー以外のクラブでプレーすることも不可能となる。

マドリーのカピタン達は、この手続きを進めるための共済組合に関わる交渉のサインを拒否したとのこと。

そして、公式でも声明が発表された。

ここでクラブが述べたいのは、6の部分に要約されるだろう。

「今回の件は法律に則って進められていることです」ということだ。

(このタイミングでこういう声明が出るということは、マルカ紙の報道を裏付けたことにもなる。)

スペイン国内での労働基準法であったり、労災とその補償の在り方や課題は全くわからないので、何とも言えないが、クラブがはっきりと声明を発表している以上、今回のケースでクラブに法的な落ち度はない(と少なくとも法廷でも判断される)のだろう。

ということで、ここから先は、クラブは法というドライなところ以外で選手とどう関わっていくのか、という問題を考える必要がある。

■クラブは一方的に悪なのか

デラレを今シーズンの選手として登録しないと決めた夏の時点では、検査結果が出るまでに数か月かかるので、登録に間に合わないという話になっていた。

それ以前にもかなりの検査を受けていたようだが、公式に結果が発表されることはとても少なかった。ファンに、「選手を大事にしていないのではないか」という疑念を持たせるには十分な情報の少なさだった。

カルデロン、暫定のボルーダ、そしてペレスと会長が替わっているのだが、こうした文脈で「マドリーはデラレを大事に思っていない」と感じてしまうことが多かった。

確かにそうだ。デラレは隅に追いやられていたように思える。「ペレスなら何をするやらわからない」と思う気持ちもある。

だが、このケースにおけるクラブの立場はかなり難しいものがあっただろうと考えもする。

デラレの希望を汲んで、「プレーができるのか、できないのか」という結論が医学的にはっきりするまで検査を受けさせ続けることは、マドリーほどのクラブにとって大変なことではない。

それに、そうしていれば「マドリーは倒れた選手も大切に扱うクラブだ」という世論が(少なくとも今よりは強く)形成されることも想像できる。

だが、いつ原因が判明するかわからない検査の数々を受けさせることは、デラレの扱いを先延ばしにすることでもある。

1年後に結果が出れば良いが、もっとずっと先になる危険性は排除できない。(医学的知識がないので、今までの検査が必要十分であったかを判断はできないが、”既にわかっている疾患の治療”ではなく、”疾患の有無の判定・疾患があるならばその原因の発見する・その原因は治療可能かどうかを判断する”というプロセスは時間がかかると考えていいだろう)

デラレ本人が待つことに納得しているとしても、本当にそれでいいのかどうか、周囲が考えてやることは悪い行為ではない。

また、「他のクラブでプレーした場合に、何事もなく活躍されるとクラブは面目を失うから今回の措置に手を付けた」という考え方もできるが、マドリーから離れて他のクラブで万が一のことが起こる危険性も考えておく必要がある。

デラレの身に最悪の事態が起こってしまったらどうしようもない。「まず守られるべきは彼の生命の安全である」と考えるならば、「マドリーではプレーさせられないが、他のクラブと契約すればプレーできる」ようにしておくことは、非常に不安定な状態を続けることになる。

■まとめ

だらだらと書いてきたが、要するに、視点を替えるとクラブ側のやり方にもそれなりの理がある可能性を示唆しておきたいということ。

ファンとして、彼のプレーが見られなくなるならば、それはとても残念なことだ。また、今回の手続きがどうやら選手の意思とは関係なく進められており、しかもその決定が強制力をもっていることにも、納得はいかない。

ただ、選手の希望、彼の今後の人生、そして彼の生命を考えなければならない今回のケースについては、もっと議論があるべきだと思う。

上に書いたように、クラブのやりかたにもそれなりの考え方を見出すことはできる。一方的に悪のレッテルを貼らず、議論すべきだ。

(ただし、そうした考え方をうまく隠れ蓑にして、デラレのケースを政治的に幕引きしてしまおうという陰謀である可能性も否定できないのだが)