今朝のCL敗退直後からマルカは「アディオス ペジェグリーニ」という言葉を使っている。
余りにも早すぎはしないだろうか。ペレス会長が我慢弱いことが広く知られ、”負けたら解任”というムードが作られやすくなったのは、前政権時からの罪悪だが、実際に世論を作っているのは、こうして早々に煽情的な言葉を持ち出すメディアだ。
ソシオ制度上、会長はソシオの代弁者だ。
冷静な見方がある程度あれば、会長は簡単に監督人事に手を出すことができなくなる。我を押し通せば、票を減らす危険性があるからだ。
一方で、煽られたソシオが増えれば増えるほど、拙速な交代をしがちになる。
リーガは終わっていないし、リーガではバルセロナとともに記録的な高さの勝ち点で優勝を争っている。CLの総括分析も済んでいない。
その状態で、「アディオス」と言うべきではない。
CL敗退は確かに残念だ。だが、今書いたようにリーガでは目標であるバルセロナと優勝争いをできているし、今回の敗退もペジェグリーニだけの責任と断ずることはできない。
イグアインの幻のゴールは?ポゼッション主体のチームのトップ下としては明らかにあっていないままのカカを起用し続けなければならない状況は?
22人しか登録選手がいない状況は?
これらは監督の問題ではない。
ピッチでの問題か、フロント陣の問題だ。
そうした様々なレベルの問題を、肥大化させたり矮小化させたりして監督に転嫁することは、あってはならない。
■継続は力なり
ペジェグリーニの目指しているものは終始一貫している。
ポゼッション主体での勝利だ。
ボールを持って仕掛けるのが強みのカカがチームにはまらないまま先発”させざるを得ない”状況であっても、それは変わっていない。
出来不出来はあっても、根本的な目標がぶれておらず、それに向けて日々練習・指導で来ていることは、信頼に値する。
また、その目標はクラブとしてのマドリーが目指そうとしたものだったはずだ。目標が一致したからこそ、ペジェグリーニを呼んだ。であれば、待つことが必要だ。
交代策の疑問・失敗など、問題はある。だが、完全無欠の監督などいない。誰が監督になったとて、何らかの問題は目に付くものだ。監督の仕事ぶりがどうか、という問題については、常に大局的な視点から考えることが必要だ。
シーズン序盤から比べれば、徐々に改善してきている。目指すものに殉ずる覚悟を、クラブに求めたい。