レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

本当に敬意を欠いているのは誰なのか

リーガで2戦連続ベンチスタートとなったカシージャスと、その代わりにゴールを守るアダンについての話題は多い。

今節はベルナベウでの試合ということもあって、試合開始当初はカシージャスの控え扱いに対するブーイングもあった。

モウリーニョカンテラ育ちのアダンに対する敬意を求める発言をしている。また、前節終了後は、アダンの方が良い状態だとも発言している。

この、GKを巡る問題について少し考えてみたい。

■原因は

カシージャスがベンチに座ることになった要因については、今のところ推測の域を出ない報道しかないが、これまで、ロナウドセルヒオ・ラモスの場合のように、懲罰の意味合いで出場させなかったと考えるのが自然だろうと考えている。

カシージャスは、モウリーニョと”うまくやれる”選手ではない。マドリーで育った選手、そして今やキャプテンとして、マドリディスモを体現する立場にあるからだ。

もちろん、もっと卑近な、人間同士の付き合いとして疎遠であるということもあるだろうが、同じクラブにいながら立場が余りにも違いすぎることは、大きな要因だろう。

モウリーニョは、マドリーを勝たせるために招聘された。

そのためには、マドリーは彼の流儀に合わせることも余儀なくされたし、それも受け入れて、ようやく昨シーズン、リーガを制することができた。

もちろん、次はCL、できれば二冠、三冠と目標は高くなるが、今の流儀(プレーのスタイルではない。ピッチ外のあれこれだ)のままでこの先何シーズンかを戦っていくのは、応援する側も辛いし、マドリーで育った選手も同じように辛いだろう。

しかも、それでいて結果が出ないとなれば、マドリーを代表するキャプテンとして言わなければならないことは、同じチームで続いている限り何度もある。

その結果として、懲罰が課せられたのだと考えれば、他のケースとほとんど同じ事件なのだろうと推測できる。

カシージャスの立場

ロナウドセルヒオ・ラモスの時と違い、ブーイングにまで及んでいるのは、上に書いたようなカシージャスという選手の経歴だから。大げさに言えば、今のマドリーを象徴する存在だ。かつてのラウールがそうであったように。

ただのキャプテンではない。このキャプテンを蔑ろにするには、相応の理由が必要だ。もしくは、それも黙らせるほどの結果か。

そのどちらもモウリーニョにはなく、単なる選手かのように扱う措置には全く納得がいかない。

まずは立て直しのために結果が必要であることには賛同するし、そのためのモウリーニョは最善策だが、一応の結果を出した後にマドリーらしさを取り戻せず、モウリーニョが先鋭化しているように見えるのは、非常に残念だ。

■アダンが追い込まれた厳しい状況

そのために出場しているアダンの立場も辛いものがある。

カシージャスと同じマドリー一筋のGKなのにも拘らず、自分に向けてではないと諭されながらもブーイングを受けてピッチに経たざるを得ない心情は、察するに余りある。

当然ながら、カシージャスとアダンには大きな差がある。今後どういった選手になるかは分からないが、試合のレビューでも書いたように、現時点では実力も経験もカシージャスが圧倒的に上。

それなのに、チーム内のいざこざから出番が回ってくる。しかも、「カシージャスよりいいから」という発言までついて。

もちろん、出場できることは嬉しいし奮起するだろうが、ベルナベウのピッチに出ても背中を押される感じがしない状況だ。

試合後の会見でも「彼に幸せになる権利はないのか?」とまで言われる。不幸せに感じる場面ではないところで起用するチャンスはあったし、これからもあるかもしれないのに。

■何が問題か

結局のところ、アダンの起用は問題のすり替えに利用されているのだ。

もともと、ピッチに出る前に解決しなければいけないことを解決できていないことが問題なのに、選手起用の問題へとずれていっている。

そのために、実力差がはっきりしているはずのアダンを持ち上げることになり、ブーイングで試合を始めることにもなり、否定的な話題に名前を取り沙汰されることにもなっている。

そんな風に起用されるアダンに敬意を欠いているのは、本当は誰なのか。

この手法は繰り返されてきたが、そろそろ終わりにしてもらわなければならない。