レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

マヌエル・マタモロス「マドリーに敵対するのではなく、マドリーを操るためのキャンペーンがある」 その1

モウリーニョの法律的な弁護担当チームを率いるマヌエル・マタモロスのインタビュー。彼は、テレビ出演やネット上での活動で知られている人物とのこと。

とても長いので3~4回に分けます。今回が1回目。

以下、インタビュー訳。

ツイッターのプロフィールで、「恥ずべきスペイン」などとはっきり書いていますね。これはどういう意味ですか?

M:ユーロの準決勝でスペインとポルトガルが戦った時、ツイッターに、私たちの隣人で、スペインよりポルトガルに住んでいる時間の方が長い私にとってはとても近しい人たちであるポルトガル人に対して攻撃する、外国人を排斥するようなメッセージがあることにうんざりしていたんです。

私たちは尊敬、教育、友好、共存といったことについてスペイン語を上手に使えたのですが。

私はとても恥ずかしい気持ちになりましたし、そのように無知の誇示するものとの隔たりと、ポルトガルの人々に対する尊敬の念をこうした形で表現したかったのです。

・「モウリーニョは、侮辱した後に逃げるこのに熱心な典型的な人物だ。」といったことや「ポルトガルナチス」といったモウリーニョに対する表現には、法廷で弁護する必要がありますね。こうした攻撃をされるのはなぜだと思いますか?

M:ジョゼ・モウリーニョに対しては、個人攻撃をしなければ、監督としての仕事に関して望むように批判することができます。しかし、残念なことに、スペインのメディアでは個人の尊厳を尊重するということが失われています。民衆が自由な社会の基本であるにもかかわらず、です。

道徳的に優れていることを誇示するやりかたや、不一致を認めないことは、批判する相手に罪を負わせることになりますから、許容できません。

・あなたの法律事務所、Silexは、ジャーナリストであるロベルト・パロマールとカルロス・ボジェロに対する訴訟を行っていますね。彼らの言葉の重大さを考えると、案件に詳しくはないのですが、「明白な」もののように思えます。(パロマールは先ほどの「侮辱した後に逃げる・・・」と書いたマルカの記者。ボジェロは「ポルトガルナチス」とエル・パイスに書いた記者。)

なぜ限界になるまで対応しないのでしょう?マドリーやそこで働く人々への攻撃ではないですか?

M:私たちは、限界まで表現の自由を尊重しなければいけません。たとえそれらが馬鹿げたものであっても、憲法が保障しない侮辱をしない限り、合法である批判の邪魔をしたり、批判するのを難しくするために裁判所を使うことは許されないのです。しかし、同じ手段で同じ人々が非礼を繰り返すことは、マドリーは許容しません。

モウリーニョによる法的措置を引き起こしたような名誉の侵害を構成するものではないかもしれませんが、憲法裁判所まで行き着くような「明白」と言われる事例は少なくないのです。しかし、裁判所でこうした行動を正当化しないとしても、マドリーは、クラブやそこで働く人々、ファンへの敬意を求めるため、全ての法的な措置を取るべきです。こうした対応を取ることが、マドリーにとって大事なのです。

・最近、マドリーは、従業員や監督、選手に対して、メディアが敬意を欠くことを許容しない立場を取っているようです。TV3に対するようなクラブによる告訴も数件ありました。こうした措置についてはどうでしょう?

M:クラブには、私の輝かしい同僚のハビエル・ロペスファーレ率いる非常に有能な法務部門があって、実行の可能性と取りうる法的な行動厳密に検証していて、取締役会が最も適切なオプションを選択できるようになっています。

マドリディスタとして、TV3によるハイエナの映像についてはどう思いますか?

M:市民として、スペインにおけるスポーツジャーナリズムが劣化している段階にあることが心配です。あの映像が何の警告もされずに製作され、編集され、放送されたということで、あの業界の一部の人々がその存在を正当化する責務を放棄したということが明らかになってきているのです。マドリディスタとしては、バルセロナが自ら主張する道徳的に優れているとされることが大きな嘘であることを再確認しました。彼らのアイデンティティーについての偽りの長いリストにまた1つ追加が出来たということですよ。

・マドリーに敵対するメディアのキャンペーンがあるのでしょうか?

M:マドリーに敵対するのではなく、マドリーを操りたいのですよ。明白なものです。ブルガリア人(ストイチコフのこと?)に対する一体感が酷く目立っています。ええ、クラブ、外見上はかつての役員によってかき立てられた人々によるもののように偽る方法で推し進められているのは明らかです。コミュニオン(多分聖餐というよりもそれに参加する信徒の集団のことだろう)に参加するマドリディスタは一番少なく、マドリディスタと偽るアンチマドリディスタは一番多いのです。ところで、彼らはマドリディスタが幸せになるためにはマドリーがどうあるべきかを教えようという尊大でばかげたことを目指す人々です。

カタルーニャのメディアとマドリーのメディアではどちらがより”危険”なのでしょうか?

M:カタルーニャのメディアはマドリーにとって危険ではありません。マドリーのメディアは、そうですね、とても危険です。バルセロナの覇権を終わらせ、ヨーロッパの頂点に立つまであと少しのところまで行った昨シーズンの終わりに、そのプロジェクトは失敗だと世界中で言われました。伝統にはないことですが、これまで介在するどんな小さなチャンスもなかったメディアが配信をしなかったことがすべて原因です。カタルーニャにいるマドリディスタのペーニャの連合が、差別と税を払いテレビを見ているマドリディスタへの攻撃だとTV3に主張したのは非常に効果的でした。ことはマルカにまで及び、カタルーニャマドリディスタ不買運動をすすめることにまでなったのです。

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今日はここまで。

TV3の映像に関する答えの中で、まず市民としてメディアの状況を憂慮する発言をしておいて、その上でマドリディスタとしての意見を被せるとことは非常に上手いと感じた。

市民として・・・と語った内容はあまり反発がなく納得できるようなもので、その上にマドリディスタとしての強い主張を乗せることで、強い主張を上手に丸めている。

表現の自由を尊重しているけれども・・・という風に表明しているのも同様。守るべきところは守って、その上で主張していると感じさせるように話しているな、という印象で、さすがに法務に関わるチームを率いているだけのことはある。

こうして強い主張を上手く表現するやり方は、モウリーニョにも通じるものがあるように感じた。発言の仕方なども相談しているのかもしれない。

ただ、形容詞はかなりどぎつい。日本なら”馬鹿げた”とはなかなか言いづらいが、そのあたりはお国柄なのか。

マドリーのメディアの方が”危険”という話は、確かにそうかもしれない。内情を知る機会が多いだけに、クラブにとって不都合なリークがあったり、不利益をもたらす記事を掲載されたりと、扱いが難しい面は多々あるだろう。

次回は、ブログやポッドキャストツイッターといった新たなメディアについての話から。