レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

マヌエル・マタモロス「マドリーに敵対するのではなく、マドリーを操るためのキャンペーンがある」 その2

かなり間が空いてしまったけれど、モウリーニョの法律的な弁護担当チームを率いるマヌエル・マタモロスのインタビュー、パート2。(その1はこちら。)

新しいメディアについての話や、モウリーニョの去就、今後のマドリーについてなど幅広く。

以下、訳。

・ブログ、ウェブサイト、ポッドキャストツイッター・・・インターネット上のこうした新しいメディアは、これまでのメディアの替わりになれるものでしょうか?

M:そうした新しいメディアのメッセージを広める能力は、今のところ劣っています。しかし、影響力は指数関数的に増していっていますね。いくつかのブログの記事は、主流のメディアが出版するものよりフットボールをより良く分析していますよ。”ラジオ”と呼ばれるポッドキャストビルバオのジャーナリストの余暇に実現されたもので興味深いのですが、ポッドキャストはより親しみやすく、大部分の番組はその悲しみを明白にしているので、結果として快適になるのです。ソーシャルネットワークは力を与えられた数千もの知性ですが、出版された文は骨抜きにされた知性なのですよ。現在の方向では、キヨスクにおいてある出版物は毎日マドリディスタに不快感を与えており、マドリディスタはそれらの存在を無視する結果になっています。さらに悪いことに、インターネットでのマドリディスモは、大部分の主流メディアを脅かす破産の危機に苦しんでいるわけではないのです。

・”酔っ払いのバル”と定義づけられるようなこの成長と、ソーシャルネットワークであるツイッターとの関係はあると思いますか?

M:そう定義づけた人たちにはツイッターの意味について考えがあるとは思いませんし、私は酔っ払いのバルが社会に与える影響について何も考えがありません。2つのうち1つが間違っているのでしょう。

モウリーニョはマドリーで続けるべきだと思いますか?

M:私はモウリーニョの”オハラテーロ”(詳しくはwikipediaをご参照ください。こうだったらいいのに、ああだったらいいのに、と言う人のこと)で、ヒューズの才能に洗礼を施したんです(うまく意味が取れませんでした)。続けたらいいのにと思っていますよ。マドリーには、モウリーニョが監督をする余地のある仕事の方向性について、継続性と忍耐が必要です。マドリーは素晴らしいプロの指揮による橋渡しと、100%仕事に打ち込める状況がオフィスに必要です。専門知識があるように見せかける山師ではなく、です。

・彼は続けると思いますか?

M:分かりません。私たちはみな彼の天職がイングランドにあることは知っています。それはどんな返事をしてもプレスを悩ませるくらい真摯なものです。しかし、私にチャンスが与えられていたとしたら、私なら同じクラブを率いて2年連続でCLを制する初の監督になりたいですし、生まれた町から30マイル離れた母国の首都でそれを成し遂げたいものですよ。私なら、この貴重なチャンスを繋ぎとめた後で新しい挑戦を探すでしょうね。

モウリーニョはマドリディスモに対する理解をしている、少なくとも、大会を取り巻く全てに関して、マドリディスモの一部を理解していると思いますか?

M:理解しているという以上に、諦めるということはマドリーとは相容れない言葉だと思い出していると思いますよ。私は孔雀の歌(美辞麗句ということ?)に気を取られて、メディアによってあれほどあつかましいお世辞を言われた一部のファンを忘れてしまっていました。

モウリーニョ後の計画はあるのでしょうか?

M:マドリーには110年の歴史があり、そのうち90年は、クラブ内部でマドリーを見る2通りの違う方法と向き合ってきました。マドリーはもちろん存在し続けています。そして、私たちは最も高い要求をすることでマドリーをマドリーとして認めています。厳しいプロフェッショナリズム、大盤振る舞いではない真の価値、影響力や、私たちのクラブを最も偉大なものとする、協力し続けること、クラブの身内に対しての優遇といったことです。こうしたことで、至急治療が必要な、何か重大な病があることを認識しているのです。

・この夏やもっと将来、どんな監督がモウリーニョ後のチームの手綱を握るのでしょうか?

M:悪くない、という候補によるものは見たくないですよ。どんな条件もモウリーニョが備えたものの一部です。自分たちのPRのためにクラブの独立を犠牲にしないこと、バランスの取れたチームを作り上げられる能力、全てのことについて細部を最後まで見て勝利をもたらすための個人としての最高の献身、一度失われましたが、モウリーニョが取り戻した地位を守ることができる能力といったところですね。

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モウリーニョがマドリーに残るかどうか、といったような質問は、彼にとってはおそらく畑違いなもののはず。モウリーニョを立てながら、マドリーに対してもあまり差し障りのないように答えている印象。

ブログやツイッターなど、ネット上の新しいメディアと、出版を主流とした既存のメディアの比較は面白い。既存のメディアの力が以前あることは認めながら、新しいメディアの強みを示している。

その1でも語っていたように、彼には既存のメディアが劣化してきているという認識があるので、既存のメディアについて辛口。

単純に新しいメディアが既存のものに取って代わるかというと、そういう構図にはならないのだろうが、移籍にまつわる記事などを見ても、現地紙は適当なことを書いているし、ペレスが記者会見を開くまでになったマルカの騒動など、いろいろなことが起こっている。既存のメディアの価値は、日々見定めなておかなければいけないということだろう。

そうした意味で、「力を与えられた数千もの知性」と彼が言うソーシャルネットワークは、それぞれが情報の補完をしあうという点で、既存メディアの弱いところを埋められる存在になっていくのかもしれない。

あと2回ほどで完結する予定。

訳出が悪い点が多いと思いますが、ご容赦ください。