レアルマドリードのある生活

レアルマドリードの応援日記。試合中心にお送りします。

あと1勝

マドリーは第35節アラベス戦、第36節グラナダ戦ともに勝利。リーガ再開後9連勝で、1つの勝ち点も落としていない。

 

内容は盤石とは言い難い。

前節も、グラナダがビハインドを覆すべく攻撃的に振舞うようになってからは、とにかく耐えることとなった。

セルヒオ・ラモスのライン上のクリアがなければ引き分け、下手をすれば流れに飲まれて逆転されていてもおかしくはない試合だった。

 

首位に立てている大きな要因の一つは、こうした試合を落とさない点にある。

往々にして見られるような、油断して勝ち点を逃すということが再開後は起きていないのだ。

その理由について、少し整理してみたい。

 

マドリーのような規模のクラブは、ほとんどの場合相手よりうまく、強い。

だから、チームの能力を十分に発揮できさえすれば、多くの場合相手を上回ることができる。

 

前節の前半はそのような展開だった。

5バック気味のグラナダに対し、中盤が厚い構成としたことで相手を押し込んで試合を支配。

その中でメンディとベンゼマの個人技が生きる場面を作り出して得点に結びつけたのだった。

 

こうした内容はもちろん素晴らしい。

先制点の場面のようにサイドバックがエリア内に入る込める展開を作ったことや、速攻の場面での連携、そして決め切ったメンディとベンゼマの技術。チーム、個人のどちらの働きも賞賛すべきものだ。

 

しかし、どんなに強くても、90分を良い時間だけで終えられるわけはない。まして、シーズンを通してみれば、どうしてもうまくいかない試合は必ず出てくる。

その時に勝ちを拾えるか、そのまま落とすか。

タイトルへ繋がる道を歩めるかどうかを左右するのは、プレーを支えるメンタリティだ。

 

マドリーは、メンタリティの振れ幅が大きいクラブである。

強豪を相手に勝負強さを示す一方、リーガの下位クラブにあっけなく敗れることが1シーズンのうちに何回かある。

タイトルを総なめにした頃のバルセロナのように、一定のレベルを保っていくということは苦手なのだ。

 

特に、ペース配分を意識しだすと危ない。出力を下げつつやり繰りしようなどと「大人の対応」を考えた途端、失敗への道を辿ることになりがちだ。

最近では、昨シーズンアウェイでアヤックスに勝ちながら、恐らくは意図的に出場停止となったセルヒオ・ラモスを欠いた第2戦で逆転を許したことを思い起こす方もいるだろう。

第1戦でアウェイゴールを挙げて勝利したことで、その先を意識してしまい、緩みを生じてしまったのだった。

 

だから、毎シーズンのように三冠の可能性ありなどと報じられることがあるが、実際のところマドリーにはかなり難しい。

複数の目標を同時に追うために、ペースを調整しながら長い時間走り続けることができないからだ。

 

逆に、短期間に一つの目標に向かう時の強さは群を抜いている。

CLで決勝に進めば負けないという例もある。シーズンの終わりの1試合に全てを注ぎ込むといった状況下では、とにかくしぶといのだ。

守るべき特定のスタイルがなく、結果を出すことが全てであるクラブ風土によるところも大きいだろう。世界で最もうまい部類のプレーヤーが、体を投げ出しユニフォームを汚しながらプレーすることを厭わないことが、ここぞという試合、場面での踏ん張りに繋がっている。

 

では、再開後の日程はどうだろうか。

本来なら、リーグ戦の終盤はCL決勝トーナメントやコパとの掛け持ちとなるところ、CLは8月に集中開催、コパはこうした事情とは関係なく敗退していることから、リーガに集中して臨める状況だ。

また、早期のシーズン終了を図るため、試合間隔が短い。

 

このように、再開後は「短期間に一つの目標を目指す」というマドリーが最も強さを発揮する状況で試合を消化できることになっている。

もちろん疲労の蓄積も速いだろう。試合の中で良い時間があるとはいえ、それが長く続くことはあまりなく、全体としてみれば粘り勝ちの印象の試合が強い。試合を通して盤石だったと言えるのは、再開直後のエイバル戦くらいではなかろうか。

 

だが、それが却って、短期間におけるマドリーの勝負強さを際立たせてもいる。

得意とする短期決戦型のシーズン終盤で、優勝まであと1勝。

今節勝てば、バルセロナの結果に関わらずタイトルに手が届く。